虹に変わるといいな

嵐ファンだった自分がファンを名乗るのを辞めた話。そして、今の推しに救われている話。

私が嵐ファンを辞めたわけ

昨年の12月24日

相葉雅紀の誕生日に私は東京ドームにいた。

そう、嵐さんのライブに参戦していた。

 

最後の嵐さんのライブだと腹を括って1人で参加していた。

この日、私は嵐ファンを辞める決意をしていた。

これで最後、そうずっと思ってた。

 

そんな私を引き戻したのは櫻井翔の最後の挨拶だった。

内容は朧気で覚えていないのだが、泣かされた。

唯一理解したのは、この人たちは、この人たちならあと1年何とかなると自分が思えたことだった。

 

しかもその日は相葉雅紀の誕生日

私の担当は相葉雅紀松本潤(通称モデルズ)である。

モデルズのわちゃわちゃっぷりと言ったら...何回も叫んだ。何回もありがとうって思った。松本潤神だって崇めた。

 

少し心配してたニノの結婚してからのファンによる暴言の言葉も私の周りからは聞こえてこなかった。

(ただし、私の友達(ニノ担)が参戦した時は周りからかなり罵声が聞こえたらしい。怖)

 

そんなこんなで結局嵐さんを嫌いになれなかった自分はその数日後にジャニーズにお金を落としていた。

そう、ずっと迷っていたファンクラブの更新をしたのだ。

 

 

 

あれ...??

でも私は今回のタイトルに

"嵐ファンを辞めた"と書いた。

 

 

 

真相は1つ

ファンクラブは更新した。

国立で嵐さんを応援したかったから。

あと1年の嵐さんの行方を追っていたかったから。

ただし、"嵐ファン"を続けるとは一言も言っていない。

 

そもそもファンの定義ってなんだ?

Fanは熱狂的ななどの意味がある。

熱狂的ではきっと無くなってしまったんだと思う。

意味抜きでファンって一概に言えるものでは無い気がする。

"嵐ファン"を辞めたとはいえ、嵐を応援してはいけないのか?そうではない気がする。

 

少しだけ哲学チックになってしまったが、

私は大好きだった"嵐"は大好きまではいかないけど今でも好きだし応援したいと思える。

でも、昔は大好きで、でもどこか執着に近かった"嵐ファン"という肩書きは、執着から解き放たれたことにより、大嫌いになり、その肩書きを捨てた。

 

 

そもそも何故このようなことになってしまったのだろうか。

なぜ自分は"嵐ファン"が嫌いになったのだろうか。

 

理由は様々考えられる。

 

 

第1に同感することが出来なかったことがあげられる。

"嵐ファン"が考える意見と自分が考える意見があまりにも違いすぎた。

多分私の考えがイレギュラーだったんだと思う。

ただし、それは"嵐ファン"の中だけで、きっと外に出たら普通の意見だったものも多いと思う。

また、きっと私の周りに自分と同じ考えの"嵐ファン"がいなかったことが孤独感を生んでいたのかもしれない。

なんでそう考えるのか、私には理解し難いことがいくつもあった。

もちろんほぼ全てが様々な意見が混在しているだけで、善悪は無いものだった。

 

ただし、1部はどう考えても、どう見ても"嵐ファン"に非がある多数意見も多くあった。

そのひとつが1つ前のブログであげたコラボに対する"嵐ファン"の異常なまでの批判だった。

特に女性アイドルとのコラボにはたくさんの批判が集まっていたように思う。

活動休止発表後では後輩グループとのコラボでも荒れていた。

"何故嵐だけじゃないのか"

"時間が少ないから嵐さんだけのステージがいい"

"コラボ相手要らない"

など様々な意見を私は疑問を持ちながら見ていた。

ただし、ここまでなら許せた。

そういう意見もあるよなって思える。

コラボ相手(コラボ相手のファン)を傷つけているのは許せなかったけど...許せなかったけど...

 

ここからが私が"嵐ファン"を許せない理由

当日、コラボ映像が流れた時の"嵐ファン"の感想に何度も何度もいらだちを覚えた。

"○○とコラボしてくれて良かった"

"とても良かった"

"コラボしてくれてありがとう"

そういうツイートをするのは、発表された時に不満ばかりをツイートしていた"嵐ファン"

...なんで?相手を傷つけていたくせに、あれだけ嫌だって愚図ってたくせに、実際見たらコロッと意見を覆す。

 

...意味が分からなかった。

最初批判するくらいなら見ないで欲しい

相手を、相手のファンを傷つけていたくせに、呑気なことを言わないで欲しい。

だから"嵐ファン"は毛嫌いされることが多い

自分からまいた種なのに嵐が批判されたら倍以上に保護に回る。そして倍以上荒れる。

ちゃんと理解してない。自分たちが1番だって勘違いしてる。

 

もちろん、嵐さんが批判されたら黙ってはいられない。

好きな人が批判されたら黙ってはいられない。

これは全てのファン(オタク)に当てはまることだ。

この行いを悪とは言わない。悪では無いと思う。むしろ良きことだと考える。

 

全ての出来事、全ての原因をこれと断言することは出来ないが、少なくとも自分たちで地雷を埋めている。それが"嵐ファン"だ。その地雷から生まれた批判も少なくない。

その自分たちでまいた種が原因でさえも自分たちがまるで正義だと言わんばかりに対抗してくる"嵐ファン"が私は耐えられなかった。

それは"嵐"という名を使った"嵐ファン"に対する批判ということを理解していない奴があまりにも多い。

以上が第2の理由。

"嵐ファン"の特性故の勘違いが私は嫌だった。

 

そして、私が"嵐ファン"を辞めたいと思った最大の理由は1部の嵐ファンの自己中さである。

これはあくまで自分の意見だが、嵐さんは確かに国民的人気アイドルだ。ファンが多いのは事実だ。

1回でも多く嵐に会いたいっていう気持ちはよく分かる。出来ることなら1回のツアーで何回も入れたらとても嬉しいのは分かる。

ただし、嵐は国民的人気アイドルである。

限度ってものが多少はある世界であると思う。

ファンクラブ的に多名義って多分違反行為であるが、まだお金を献上してる面では積むのもありなのかなとまだ理解出来る。

(正直、1人1ステまでとかいう制限付きであれば救われる人も多いのだろうけど)

 

ここからが私が理解し兼ねることだ。

それは、どの界隈でもそうが高額転売だ。

高額転売に手を出す1部のオタクの神経が意味わからない。そこまでして、公式じゃなく別の身元不明の誰かにお金を払ってまで見る価値は果たしてあるのだろうか。

私には理解し難い。

 

これが私の周りで実際に起こってしまったことにより、私はその"嵐ファン"が嫌いになった。

(しかも割と表では綺麗事を並べてそこそこ支持を得てるファンだった。)

そして、それを知りながら周りに群がるファンにも理解できなかった。

私はその人のことが面白いって思ったからそこまではついていった。

でも、それが分かった瞬間、いい大人が見苦しいと拒否してしまった。

しかも自分の入れなかったツアーだったからこそ悔しかった。

 

どっちが自己中か分からなくなるけど、かなりその件は私を傷つけた。

帰ってから泣いた。沢山泣いた。

なんで自分は嵐さんを好きになってしまったのだろう。

そこまで考える程追い詰められた。

(自業自得といえば自業自得なんだけど)

ずっと苦手意識を持ってた"嵐ファン"が嫌いかもと思うようになった。

 

 

他にも理由をあげたらキリがないほど出てくるが、本当にキリがないのでもし機会があればまた

 

しかしながら、私が"嵐ファン"を嫌いになりはじめたきっかけは2016年、約4年前の出来事。

この4年間"嵐ファン"が本当に嫌いで嫌いだった。

なのに今まで何故辞めることが出来なかったのか。

 

理由は1つ

私には嵐以外に逃げ場がなかったからだ。

嵐さんが好きで、嵐さんしか見えなかった。

そんな私から嵐を奪うことは自分の周り全てを奪うことと同じような事だった。

嵐さんは大好きだったから。嵐を語る仲間が欲しかった。

求めれば求めるほど自分が苦しくなるのは分かっていた。

でもやめられなかった。それが生きがいだったから。

私はずっと"嵐ファン"という肩書きに執着していた。

執着するしか生きるすべがなかった。

 

 

そんな時だった。

2017年夏に運命的な出会いをした。

(この内容は次の記事に載せます)

そして2018年夏にも今の私が存在できてるかけがえのない人のことを好きになった。

(これも後々記事に載せます)

 

 

これをきっかけに私は嵐という名の"嵐ファン"の呪縛から解き放たれた。

言い方が少し悪いが、嵐以外の逃げ場が出来た。

 

逃げ場ができた途端に私は"嵐ファン"そして嵐の事を気にしなくなっていた。

一気に気持ちが楽になった。

そして新しい世界を覗くことができるワクワク感しか考えないようになっていた。

 

 

今の推しには本当に感謝してる。

苦しかった自分に射した光のような存在だった。

 

もし、あの時出会えなかったら、好きになってなければ、きっと私はまだ"嵐ファン"の呪縛の中をさまよっていたに違いない。

ずっと苦しんでいたに違いない。

 

 

そんなこんなで私は昨年久しぶりに嵐としっかり向き合うことが出来た。

あの時とは違う心持ちで、向き合うことが出来た。

その結果が今回"嵐ファン"を辞めることだった。

"嵐ファン"って名乗る必要性はもう無くなった。

ただし、嵐はこれからも応援する。

嵐の曲、パフォーマンス、人間性は今でも好きだから。

 

 

これからは"嵐ファン"でなく"嵐を応援する1人間"として嵐を応援していこうと思う。

これで"嵐ファン"と思われたり、"嵐ファン"じゃないからライブ来ないで欲しいとかいう意見があったら真っ向からぶつかる心持ちだ。

 

 

 

"ファン"が全ての応援の形ではない。と私は示していきたい。